基山

脊振山系の東端、先週の四王寺山の続きとして、基山(基肄城跡)へ行って来ました。


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車を止めた場所の近くにも水門が有りましたが、これは基肄城とは関係ないようです。


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登山口からは、ブロックや枕木の階段が続きますが、綺麗に掃かれていましたので、とても気持ちが良かったです。


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弘法大使?像


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不動明王

これより、右寄りに進路を取る


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修行場?

暫く、九電の階段?を歩く


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土塁が一箇所だけ切れている

東北門跡ということでした


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柱石が両側に残っていました(復路で気付きました)

これより、右手へ進む


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丸尾礎石群


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礎石群

真直ぐに進みます


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基山の山頂が見えてきました


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基山頂上

手前に三角点もあります

岩の上には、ちょっと登れないですね!!


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天智天皇欽仰之碑

山頂付近の展望所で、お握りを食べ、(黄砂で?)霞む遠景を楽しんだ後、水門の方へ下る


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水門(内側から)

特別史跡

「基肄城跡」の水門

 基肄(橡)城は、福岡県の大野城とともに唐・新羅の来襲に備えて、大宰府都城防衛のため、六六五年に南北相対して築かれた我が国最古の朝鮮式山城である。

 城は、西峰の基山、東峰の坊住山の二峰間を北部を土塁で結び、南部を石垣でつないでいる。

 その延長線は、四二〇〇メートルに及んでいる。城跡には、展望所・土塁・石垣・水門・礎石・門祉等が残存している。

 水門は、城の南側にあり、基山・坊住山両峰の谷の水を排除する施設で、高さ1・4メートル、幅一メートル、奥行九・五メートルで、その上に築かれている石垣は、高さ八・五メートル、長さ二六メートルある。

 大宝律令の筑紫城衛禁律によると、この水門を潜って城内に入ったものは、一年の徒刑に処せられることになっていた。


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水門の外・左側の石垣


Tizu














水門から東北門へ舗装路を戻るつもりでいたが、地図を見ると、管理歩道というのがあったので、そちらの階段を登ることにした。


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米倉礎石群

この後、「鐘撞堂(鐘楼祉)」、「つつみ」を経て、東北門跡へ辿り着いた


Kiyama
















今日のコース