今日の現場は、小竹町の旧道・・
長崎街道と小竹
長崎街道は慶長17年(1612)に冷水峠が拓かれたことによって小倉から長崎まで47里(228キロ)に25宿が整備された。
黒田福岡藩内の長崎道は黒崎・木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田の6宿が設けられ「筑前6宿」と呼ばれた。
この町筋は木屋瀬宿と飯塚宿を結ぶ道であり、藩政時代には多くの旅人が行き交った。
参勤交代の諸大名の御小休所跡など古い町並みは旧街道の面影を残している。
ケンペルやシーボルト・司馬江漢・川路聖膜らの有名人もこの道を通った。
説明板のある貴船神社前の様子(右の建物はトイレ)
天保とあるから、相当古い??
神社の境内には、もっと古い風化した狛犬?も置いてあった
句碑もあった、昭和の作。
近くには芭蕉翁の句碑もあった(カメラの調子が悪く撮影できなかった・・)
私には、読めない!!
家の方に訪ね、おやすみどころ跡と書いてあると教えていただいた。
(会社の毛筆の得意な先輩に尋ねると、すぐに所の字だと答えたので、常識の範囲なんでしょうね!!)
郡境石
「従是北鞍手郡」、「勝野村」と彫られていた
ここより、少し飯塚側には・・
目尾公園
「目尾」、読めますか?
「メオ」じゃあ、ありません。
・・・私は、知ってましたけど・・地名・人名の読み方って難しいですね!!








